アクスムの巨大オベリスクはいかにして築かれたか?考古学が探る驚異の技術と未解明な論点
アクスム王国の巨大オベリスク:考古学が探る古代アフリカの驚異的な技術
東アフリカ、現在のエチオピア北部、ティグレ州に位置する古代都市アクスムは、紀元前1世紀頃から紀元後9世紀頃にかけて繁栄したアクスム王国の中心地でした。この王国は、紅海交易によって富を築き、ローマ帝国やササン朝ペルシャと並び称される強国へと成長しました。アクスム遺跡群の中でも特に目を引くのが、巨大な石柱群、すなわち「ステラ(またはオベリスク)」です。これらのステラは、古代世界でも類を見ない規模と精巧な加工技術を示しており、どのようにしてこれほど巨大な石材が切り出され、運搬され、そして立てられたのか、多くの謎に包まれています。本稿では、アクスムの巨大ステラに関する考古学的な発見に基づき、その驚異的な技術と未解明な論点に迫ります。
アクスムのステラが示す規格外の規模と精巧さ
アクスム遺跡、特に「ステラ公園」と呼ばれる地域には、数十本のステラが立ち並ぶ、あるいは倒壊した状態で存在しています。これらのステラは、紀元後3世紀から4世紀にかけて、王や貴族の墓標として建立されたと考えられています。
最も有名なのは、高さ33メートル、重さ推定500トンを超える「大ステラ」ですが、これは建立中に倒壊したとされています。現在も立っている最大のものは、高さ24メートル、重さ約160トンの「アクスム・オベリスク」として知られるものです(これはかつてイタリアに持ち去られ、2008年に返還されたものです)。これ以外にも、高さ20メートル級のステラが複数存在します。
これらのステラの特筆すべき点は、その巨大さだけではありません。石材には閃長岩が用いられており、表面には当時の多層建築物を模した窓や扉、梁などが精巧に彫刻されています。まるで石の塊を削り出して建築物を再現したかのようです。これらの彫刻は非常に精密であり、当時の石工技術の高さを示しています。
どのように加工・運搬されたか?考古学が探る石材技術
巨大な閃長岩を切り出し、精密な彫刻を施し、そして遠方から運搬する過程は、当時の技術水準を考えると驚異的と言わざるを得ません。
切り出しと加工: アクスムから南西に約4キロメートル離れた採石場跡からは、切り出し途中で放棄された未完成のステラが見つかっています。ここでの考古学的調査により、石材は岩盤に沿って溝を掘り、木製の楔を打ち込んで水を含ませて膨張させることで岩を割る「楔割り法」が用いられた可能性が示唆されています。しかし、これほど巨大かつ硬質な閃長岩を、当時の道具(鉄器など)でどのように効率的に加工したのか、また、表面の滑らかさや精密な彫刻をいかにして実現したのか、詳細な手順や使用された具体的な道具については未解明な部分が多く残されています。単に鉄製の鑿や槌だけでなく、より高度な技術や補助的な道具が存在した可能性も論じられています。
運搬: 採石場からアクスムのステラ公園までの約4キロメートルの距離、しかも起伏のある地形を、数百トンにも及ぶ石材をいかに運搬したのかは大きな謎の一つです。考古学的な痕跡は限られていますが、考えられる方法としては、丸太の上に載せて転がす、傾斜路を利用する、人工的な道を整備するといった手段が複合的に用いられた可能性があります。人力や動物(象など)の力を利用したとも考えられますが、これほど巨大な重量物を効率的かつ安全に移動させるには、組織だった労働力と高度な計画が必要不可欠です。具体的な運搬ルートや使用された機材に関する考古学的証拠は決定的なものがなく、現在も推測の域を出ません。
巨大ステラの建立技術:未解明な論争点
切り出し、加工、運搬を経て、最も困難であったであろう作業の一つが、巨大なステラを垂直に立てる「建立」です。特に500トンを超える大ステラを現代の重機なしで立てようとすることは、現代の工学技術をもってしても極めて挑戦的な試みです。
考古学者や工学者の間では、いくつかの建立方法が提唱されています。一般的な仮説としては、ステラの根元部分をあらかじめ掘られた穴や基礎に固定し、他の部分を傾斜路を使いながら徐々に引き上げ、てこの原理や大量の人力、そして土や砂を積み上げて支えとする方法が考えられています。アクスムのステラの根元には特殊な突起(カウンターウェイトの役割か)が設けられており、これが建立を容易にするための工夫であった可能性も指摘されています。
しかし、具体的にどのような構造物や道具が使用されたのか、どのくらいの期間と人手が必要だったのかについては、明確な考古学的証拠が不足しています。特に倒壊した大ステラに関しては、建立方法そのものに問題があったのか、あるいは地盤の問題、地震などの外部要因が影響したのかなど、倒壊の原因についても複数の説が提唱されており、論争が続いています。
ステラの目的:単なる墓標を超えた意味合いか?
アクスムのステラは一般的に王や貴族の墓標であると考えられています。実際、ステラの足元からは地下墓室が発見されるケースがあります。しかし、その圧倒的な規模や精密な装飾は、単なる墓標以上の意味を持っていた可能性を示唆しています。
巨大なステラは、王の権力や富を誇示するためのモニュメントであったことは間違いありません。また、石に彫られた建築表現は、当時のアクスム人の宇宙観や現世・来世観を反映している可能性も指摘されています。さらに、一部のステラは天体の運行や特定の儀式と関連付けられていたとする説も存在します。しかし、これらの解釈は断片的な証拠や比較研究に基づくものが多く、ステラが具体的にどのような思想や儀式に用いられたのか、その深い目的についてはまだ完全に解明されていません。
結論:古代アクスムが残した技術の謎と今後の展望
アクスム王国の巨大オベリスク(ステラ)は、古代アフリカに存在した驚異的な技術力と組織力を示す貴重な証拠です。数百トンもの石材を切り出し、精密に加工し、そして建立するという一連の作業は、現代の視点から見ても驚くべき偉業であり、その正確な方法は未だ多くの謎に包まれています。
考古学的な調査により、当時の道具の使用痕跡や未完成の構造物など、断片的なヒントは得られています。しかし、加工の効率性、運搬の詳細なルートと方法、そして巨大ステラの建立方法に関しては、具体的な考古学的証拠に基づいた決定的な説がまだ確立されていません。また、これらのステラが持つ文化的、宗教的な深い意味合いについても、さらなる研究が必要です。
今後の考古学的調査、特に地中レーダー探査などの非破壊的な手法や、未踏の採石場跡や運搬ルートの調査によって、新たな発見がもたらされることが期待されます。アクスムの巨大ステラの謎の解明は、古代アフリカの技術史、そして人類が困難な工学課題にどのように挑んできたかを知る上で、極めて重要な意義を持っています。