バールベックの巨石はいかにして運ばれたか?考古学が探る驚異の技術と未解明な論点
バールベック遺跡の巨大石材:古代の驚異とその謎
レバノンのベッカー高原に位置するバールベック遺跡は、古代ローマ時代に建造された壮大な神殿群で知られています。特に主神殿複合体の基盤に見られる巨大な石材は、その驚異的な規模から長年にわたり多くの研究者や愛好家の関心を集めてきました。これらの石材、中でも「トリリトン」として知られる3つの巨大な石は、一つあたり推定800トンにも及ぶと考えられており、一体いかにしてこのような途方もない重さの石が運ばれ、正確に配置されたのか、その技術的な側面は現在も完全に解明されてはいません。
本稿では、バールベック遺跡の巨大石材に焦点を当て、これまでの考古学的な発見に基づき、その運搬・加工技術に関する主要な説と、現在も残る未解明な論点について掘り下げていきます。
バールベック遺跡の概要と巨大石材の規模
バールベックは、古代においてはヘリオポリスとして知られ、特にユピテル神殿、バッカス神殿、ヴィーナス神殿を中心とする広大な聖域が紀元1世紀から3世紀にかけてローマ帝国の手によって建設されました。現在見られる遺跡の多くはこのローマ時代に属しますが、その基盤部分には、それ以前の時代に作られたと考えられている巨大なテラス構造が存在します。
このテラスの西壁を構成する石材の中に、特に巨大な3つの石が並んでおり、これが「トリリトン」(三石)と呼ばれています。トリリトンの各石は長さが約19〜20メートル、高さ約4.5メートル、奥行き約3.6メートルに達し、その重量はそれぞれ約800トンと推定されています。これだけでも驚異的ですが、聖域の南側にある採石場には、さらに大きな、長さ約20.7メートル、幅約5メートル、高さ約4.5メートル、推定重量約1000トン以上の石材が切り出された状態で残されており、「妊婦の石」または「南の石」と呼ばれています。これらの石は、現代の技術をもってしても運搬が極めて困難とされる規模です。
ローマ時代には、これほど巨大な石材を用いた建築は他の地域では例が少なく、バールベックの規模は突出しています。このため、巨大石材の加工、運搬、そして据え付けの方法は、ローマの高い建築技術をもってしても説明しきれないのではないか、あるいはローマ時代以前の技術によるものではないか、といった議論が生じています。
巨大石材の運搬・配置に関する考古学的説
バールベックの巨大石材がどのようにして運ばれ、配置されたのかについては、いくつかの説が提唱されています。これらの説は、主に当時の技術レベルや利用可能な手段に基づいています。
1. スロープ説または土塁説
最も広く受け入れられている可能性のある説の一つに、スロープ(傾斜路)や土塁を用いた方法があります。この説では、採石場から建築現場まで、あるいは地面から設置位置まで、傾斜をつけた土塁を築き、その上を滑車やテコ、多数の労働力を用いて石材を引き上げていったと考えられます。古代エジプトのピラミッド建設などでも同様の手法が用いられたと推測されており、古代文明における巨大建造物の建設では一般的なアプローチとされています。
バールベックの場合、採石場は聖域から比較的近い場所に位置しており、短距離の水平移動には丸太を敷いた上を転がすなどの方法が有効であったと考えられます。問題となるのは、石材をテラスの高さまで持ち上げ、正確に据え付けるプロセスです。約9メートルもの高さに800トンもの石材を引き上げるためには、非常に大規模で強固なスロープや土塁が必要となります。また、これに関わる労働力は膨大な数に上ると推定されます。考古学的な調査で、建設過程における土塁の痕跡や資材の存在が確認されれば、この説の有力な根拠となります。ただし、バールベックにおける具体的なスロープの構造やその規模については、まだ明確な証拠は見つかっていません。
2. クレーン説
古代ローマは高度なクレーン技術を持っていました。複数の滑車やウインチを組み合わせたクレーンは、比較的重い石材を持ち上げるために広く使用されていました。この技術を応用して、バールベックの巨大石材を吊り上げたとする説も存在します。
しかし、一般的なローマ時代のクレーンで持ち上げられる重量は、数十トン程度が限界であったと考えられています。800トン、あるいは1000トンを超える石材を吊り上げるためには、前例のない規模と強度を持つ特殊なクレーンシステムが必要となります。また、そのような巨大なクレーンを組み立て、安定させるための技術的な課題も大きいと考えられます。この説の難点は、そのような超大型クレーンの存在を示す考古学的証拠がバールベック遺跡や同時代の文献から見つかっていないことです。実験考古学的な試みでは、複数のクレーンを用いたとしても、この規模の石材の吊り上げは極めて困難であることが示唆されています。
未解明な論点と基盤の起源
バールベックの巨大石材に関する最も大きな論争点の一つは、これらの石材がいつ、誰によって配置されたのか、という点です。
1. ローマ時代説 vs. それ以前の時代説
多くの研究者は、バールベックの巨大石材は、そこに壮大な神殿群を建造したローマ帝国時代に運ばれ、配置されたと考えています。ローマ人は高度な土木・建築技術を持ち、帝国各地で大規模な建設事業を行っていたからです。この説の根拠は、遺跡の主要部分がローマ時代のものであること、そしてローマ人が巨大な石材を扱った他の例( aunque規模はバールベックに及ばない)が存在することなどです。
一方で、この規模の石材を扱う技術はローマ時代としては異例であること、また神殿の基盤部分が他のローマ時代の構造物とは異なる特徴を持つことから、巨大石材の配置はそれ以前の時代、例えばフェニキア時代などに行われたのではないか、という説も根強く存在します。バールベックは古くから聖地として知られており、ローマ人は既存の強固なテラス構造の上に新たな神殿を築いただけかもしれない、という考え方です。基盤部分の地層や遺物の分析、石材の加工方法の比較などから、異なる時代の技術や文化層が存在する可能性が指摘されています。
2. 具体的な加工・据え付け技術の謎
巨大石材は、採石場で精密に切り出された後、建築現場まで運ばれ、そして他の石材と隙間なく組み合わされました。この加工精度と、重量のある石材をどのようにして誤差なく据え付けたのか、その具体的な方法は未だ明らかになっていません。当時の道具や技術で、いかにしてこれほど正確な加工が可能だったのか、また、石材同士をどのように緊密に接合させたのかも、重要な未解明な論点です。
結論:考古学が示す古代技術の限界と可能性
バールベックの巨大石材は、古代世界における土木・建築技術の驚異的な到達点を示す一方で、その全ての側面が現代科学によって解明されているわけではありません。スロープ説やクレーン説といった考古学的に可能性のある手法が提唱されていますが、800トン級の石材を扱うためには、これまでの定説を覆すような、あるいはそれらを高度に組み合わせた特殊な技術が必要だった可能性があります。
また、巨大石材がローマ時代以前に配置されたとする説は、もしそれが真実であれば、当時の文明が従来考えられていたよりもはるかに高度な技術を持っていたことを示唆します。現在進行中の考古学的調査や、新たな分析技術の進展により、今後バールベックの巨大石材に関する新たな事実が明らかになる可能性は十分にあります。
重要なのは、安易な超常現象や非科学的な説明に頼るのではなく、考古学的な発見、物理学的な原理、歴史的な文脈といった信頼できる情報に基づいて、未解明な謎に粘り強く向き合う姿勢です。バールベックの巨石は、古代人の知恵と技術の可能性、そして考古学の探求がいかに続くべきかを示す、魅力的な事例と言えるでしょう。今後の研究成果に期待が寄せられます。