カホキア・マウンド群:北米最大の古代都市はいかに築かれ、いかに放棄されたか?考古学が探る巨大構造物の謎と社会の崩壊
北米に存在した巨大な古代都市、カホキア・マウンド群
アメリカ合衆国イリノイ州南西部、現在のセントルイス近郊に広がるカホキア・マウンド群は、西暦10世紀から14世紀にかけて栄えた、北米最大の古代都市遺跡です。ミシシッピ文化と呼ばれる先コロンブス期の文化によって建設されたこの都市は、最盛期には数万人が居住していたと推定されており、その規模は当時のヨーロッパの都市にも匹敵するものでした。
カホキアの最も特徴的な要素は、大規模な土製のマウンド(塚)が多数築かれていることです。その中でも最大のものはモンクス・マウンドと呼ばれ、基底部の面積はエジプトのギザの大ピラミッドを上回り、高さは約30メートルに達します。これらの巨大なマウンドや、精密な天体観測施設とされる「ウッドヘンジ」、そして都市を取り囲んでいた木製の防御柵などは、高度な土木技術と組織化された社会構造の存在を示唆しています。
しかし、これほどまでに発展した都市文明が、なぜ比較的短期間のうちに放棄され、姿を消してしまったのか、そして巨大なマウンドがどのように築かれたのかなど、カホキアには今なお多くの未解明な謎が残されています。考古学的な発見に基づき、これらの謎に迫ります。
驚異の土木技術:マウンドはいかにして築かれたのか
カホキア・マウンド群の最大の謎の一つは、その巨大な土製マウンドがいかにして建設されたかという点です。特にモンクス・マウンドは、推定で約220万平方メートルもの土が使用されており、これほど大量の土を運搬し、突き固めて巨大な構造物を築くためには、膨大な労働力と高度な組織力が必要であったと考えられています。
考古学的な調査から、マウンドは一度に完成したのではなく、数十年から百年以上の期間をかけて段階的に増築されていったことが明らかになっています。土は、周辺の畑や湿地帯から掘り出され、おそらく籠や袋に入れて人力で運ばれたと考えられています。運ばれた土は層状に突き固められ、斜面は粘土や芝生で覆われていました。
この建設プロセスにおいては、精密な測量や計画が必要だったと考えられます。モンクス・マウンドの基底部やウッドヘンジの配置には、天文学的な方位との関連が指摘されており、高度な知識体系が存在した可能性が示唆されています。しかし、具体的な建設方法や、労働力をどのように組織・動員したのかといった詳細については、明確な記録が残されていないため、依然として多くの議論が行われています。
例えば、労働力は強制的なものであったのか、あるいは共同体全体の事業として自発的に行われたのか。マウンドの建設に携わった人々の社会的な位置づけはどのようなものだったのか。これらの問いに対する答えは、カホキアの社会構造そのものの理解に繋がります。
高度に組織化された社会構造の痕跡
カホキアの巨大な公共事業は、そこに高度に組織化された社会が存在したことを強く示唆しています。モンクス・マウンドのような中心的な構造物は、都市の権威や宗教的な中心であったと考えられており、頂上には大きな木造の建物があったと推定されています。
遺跡からは、社会的な階層性を示す考古学的証拠も発見されています。例えば、マウンド内部や周辺から発見された埋葬地からは、地位の高かった人物の豪華な副葬品を伴う墓や、集団埋葬の跡が見つかっています。特に、モンクス・マウンド南側の「3期墳丘(Mound 72)」からは、地位の高い男性と思われる人物が、数多くの殉葬者や貴重品(約2万個の貝殻ビーズで作られた装飾品、石材の矢じりなど)とともに埋葬されているのが発見されており、これはカホキア社会における強固な権力構造と、儀礼的な側面を示唆する重要な発見とされています。
また、都市の中心部と周辺部の居住区域からは、異なる生活様式や食料資源の利用状況を示す痕跡が見つかっており、これも社会的な分業や階層の存在を支持する証拠と考えられています。しかし、具体的な統治体制、リーダーシップの形態、社会集団間の関係性など、社会構造の詳細については、文字記録がないため推測の域を出ません。
都市の放棄:複数の説が語る謎の終焉
繁栄を極めたカホキアは、13世紀後半から14世紀初頭にかけて急速に衰退し、最終的に放棄されてしまいます。なぜこれほどの巨大都市が姿を消したのか、その原因についても複数の説が提唱されており、考古学的な議論が続いています。
主要な説としては、以下のものが挙げられます。
- 環境変化説: 長期間にわたる大規模な森林伐採(マウンド建設や建築資材、燃料のため)による土壌浸食、あるいは気候変動(干ばつや洪水の頻発)が、農業生産に打撃を与え、食料不足を引き起こしたという説です。考古学的な証拠として、森林の減少や河川の氾濫を示す地層などが挙げられます。
- 資源枯渇説: 人口集中による食料(特に狩猟資源)や建設資材(木材など)の枯渇が、都市の維持を困難にしたという説です。
- 疫病説: 密集した都市環境で疫病が蔓延し、人口が激減したという説です。ただし、これを直接的に示す考古学的証拠は限られています。
- 内部対立・外部からの圧力説: 人口増加や資源不足に伴う内部での対立激化、あるいは外部からの侵攻や軋轢によって社会が不安定化し、都市機能が麻痺したという説です。都市を囲む防御柵が何度か強化されていることは、社会不安が高まっていた可能性を示唆します。
- 宗教的・社会的変化説: 何らかの宗教的または社会的な大変動が人々の居住パターンを変え、都市からの移住を促したという説です。
これらの説は単独で起きたというより、複数の要因が複合的に影響し合った可能性が高いと考えられています。例えば、環境悪化が資源不足を招き、それが社会不安を増大させた、といったシナリオです。しかし、それぞれの要因がどの程度影響したのか、また特定の出来事が最終的な放棄の引き金となったのかなど、具体的なプロセスについてはまだ解明されていません。
未解明な未来への展望
カホキア・マウンド群は、北米における高度な古代文明の存在を示す貴重な証拠であり、その巨大なマウンドや計画的な都市構造は、当時の人々の驚異的な技術力と組織力を物語っています。しかし、マウンドの正確な建設方法、それを可能にした社会構造の詳細、そして都市が放棄された決定的な理由など、多くの重要な謎が残されています。
最新の考古学的な発掘調査や科学分析(例えば、土壌分析、同位体分析、古代DNA解析など)は、カホキアの人々の生活、食料、健康、そして環境との関係について、新たな知見をもたらし続けています。これらの研究が進むにつれて、カホキアの巨大な謎が少しずつ明らかになることが期待されます。北米の古代都市カホキアは、今も私たちに多くの問いを投げかけているのです。