イースター島のモアイ像はどのように運ばれたか?考古学が探る複数の説と未解明な技術
イースター島の巨石像モアイ:未解明の運搬技術
南太平洋に浮かぶ孤島、イースター島(ラパ・ヌイ)には、巨大な石像「モアイ」が数多く存在しています。これらの像は、島の採石場であるラノ・ララクで彫り出された後、遠く離れた島の沿岸部まで運ばれ、アフ(祭壇)の上に立てられました。重さ数トンから数十トン、中には80トンを超える像もあり、高度な文明を持たなかったとされるラパ・ヌイの人々が、いかにしてこれほど巨大な石像を運搬・建立したのかは、長年にわたり考古学上の大きな謎とされてきました。
現在に至るまで、モアイ像の運搬方法については複数の説が提唱されており、いずれも決定的な証拠がないため論争が続いています。考古学的な発見に基づき、これらの主な説と未解明な点について解説します。
伝承に基づく「歩行説」とその考古学的根拠
モアイ像の運搬方法に関する最もよく知られた説の一つに、「像は自ら歩いた」というラパ・ヌイの口承伝説に基づいた「歩行説」があります。この説は、像を立てた状態でロープを使い、揺動や回転を繰り返しながら少しずつ前進させたという考え方です。
考古学者のジョー・アン・ヴァン・ティルブルフ氏らは、この説を支持し、実際にモアイ像を模したレプリカを用いた実験を行いました。約5トンのレプリカ像に複数のロープを掛け、数十人が左右交互に引っ張ることで、像が「歩く」ように移動させることが可能であることを示しました。この実験は、像が直立に近い状態で運ばれた可能性を示唆しています。
この説の考古学的な根拠としては、ラノ・ララクから海岸部へ続く古道「アライ・モアイ」沿いに、あたかも移動中に倒れたかのように横たわる多数のモアイ像の存在が挙げられます。これらの像の中には、道に対して垂直に倒れているものや、特定の形状(特に基部がD字型や幅広になっているもの)を持つものがあり、これらが意図的に直立または傾いた状態で運搬された途中で、バランスを崩して倒れた痕跡ではないかと考えられています。また、ラノ・ララク周辺で発見された特定の形状の石槌などの道具が、像の最終的な整形や、運搬前の加工に使用された可能性も指摘されています。
しかし、この「歩行説」にはいくつかの課題も存在します。特に巨大なモアイ像(20トン以上)をこの方法で運搬するには、莫大な労力と熟練した技術が必要であり、道の傾斜や地形の凹凸に対する対応が困難であったと考えられます。また、道沿いに倒れている全ての像が運搬途中に倒れたものなのか、あるいは建立地近くまで運ばれてから何らかの理由で放置されたものなのかについても、明確な結論は出ていません。
水平運搬説:木製ソリや丸太利用の可能性
「歩行説」に対し、モアイ像は水平に寝かせた状態で運搬されたと考える「水平運搬説」も有力な説の一つです。この説では、巨大な木製ソリの上にモアイ像を乗せ、これを多数の労働者やテレスコピックフレームのような構造物で牽引したり、地面に敷いた丸太の上を転がして移動させたりしたと推測されています。
この説の根拠としては、まずイースター島の限られた植生と、考古学的な調査で確認されている森林破壊の痕跡が挙げられます。かつては島全体を覆っていたヤシの森が、モアイ像の運搬や他の活動のために大量に伐採され、最終的に島の生態系崩壊の一因となったという説があります。もしモアイ像を水平に運搬するために大量の丸太や木製ソリが必要であったならば、これは島の森林資源の枯渇を加速させた大きな要因となった可能性が考えられます。
また、いくつかの実験では、大規模な木製ソリや丸太を用いることで、比較的容易に像を移動させられることが示されています。特に巨大な像の運搬には、水平移動の方が安定しており、より現実的であったという見方もあります。
しかし、この説にも課題があります。考古学的な証拠として、モアイ像の運搬に直接使用されたと断定できる木製ソリや大量の丸太そのものは発見されていません。これは、木材が腐敗しやすい素材であるためと考えられますが、その存在を確実に示す痕跡は少ないのが現状です。また、ラノ・ララクから沿岸部までの古道「アライ・モアイ」の形状が、必ずしも水平運搬に適しているとは言えないという反論もあります。
複数の方法の併用と未解明な論点
現在の考古学的なコンセンサスとしては、モアイ像の運搬方法は一つではなく、像の大きさや形状、あるいは運搬する地形、さらには時代によって複数の方法が使い分けられた可能性が高いと考えられています。比較的小型の像は「歩行説」に近い方法で、より大きな像は水平運搬や、木製ソリとロープ牽引を組み合わせた方法などが用いられたのかもしれません。
また、運搬そのものだけでなく、採石場での彫刻、目的地での建立、そしてプカオ(頭上の赤い石)の載置といった一連の作業にも、それぞれ高度な技術と組織力が必要でした。特に重いプカオを高さ数メートルのモアイの頭上に載せる方法については、建立方法と併せて、未解明な技術が多く残されています。砂や土を積み上げて傾斜路を作り、その上を引き上げたという説や、テコの原理を利用した説などがありますが、これも決定的な考古学的証拠は得られていません。
結論:謎は残るが、考古学は探求を続ける
イースター島のモアイ像運搬の謎は、古代ラパ・ヌイの人々が厳しい環境下で、いかに卓越した技術力と組織力を発揮したかを示す事例であり、現代の考古学者がその真実を追い求める重要なテーマです。現在も、古道の詳細な調査、倒れたモアイ像の形態分析、実験考古学による再現実験、そして地形情報や物理法則に基づいたシミュレーションなど、多角的なアプローチから研究が進められています。
これらの研究によって、モアイ像が運ばれたルートや道の構造、そして運搬に関わった人々の社会組織や信仰システムとの関連性などが少しずつ明らかになってきています。しかし、彼らが実際にどのような技術を用いて、あの巨大な像をラノ・ララクから島中に運び、建立したのかという根源的な疑問に対する明確な答えは、まだ得られていません。この未解明な技術の謎は、今後も考古学的な発見と分析を通じて、少しずつその姿を現していくことになるでしょう。