モヘンジョ・ダーロ遺跡のガラス状物質:考古学が探る未解明なその起源と高温破壊説の真偽
モヘンジョ・ダーロ遺跡に残された謎のガラス状物質
インダス文明最大の都市遺跡の一つであるモヘンジョ・ダーロは、その高度な都市計画や排水システム、未解読の文字などで知られています。しかし、この壮麗な古代都市には、今なお考古学的な議論を呼ぶ未解明な謎が存在します。その一つが、遺跡内の一部で見つかる謎のガラス状物質や溶融痕です。これらの痕跡は、かつて提唱された「高温破壊説」の根拠として注目を集め、その起源や意味について様々な推測がなされています。本記事では、モヘンジョ・ダーロ遺跡で発見されたガラス状物質などの考古学的証拠に基づき、その正体や、高温破壊説に関する論点、そして現在考えられている複数の説について掘り下げていきます。
インダス文明最大の都市、モヘンジョ・ダーロ
モヘンジョ・ダーロは、現在のパキスタン領内に位置し、紀元前2600年頃から紀元前1900年頃まで栄えたインダス文明の主要都市でした。計画的に整備された街路、レンガ造りの家屋、先進的な排水・給水設備、そして大規模な公共浴場や穀物倉など、その高度な都市機能は当時の世界でも類を見ないものでした。しかし、約700年の繁栄の後、都市は何らかの理由で衰退し、放棄されたと考えられています。その崩壊の原因についても、気候変動、河川の氾濫、外敵の侵攻など、複数の説が提唱されており、未だ定説はありません。
発見されたガラス状物質と溶融痕
モヘンジョ・ダーロ遺跡の発掘調査において、特にシタデルと呼ばれる中心部の丘陵地帯や、一部の街区で、通常では見られないガラス化した物質や、レンガが異常な高温で溶融したような痕跡が発見されています。これらの物質は、砂や粘土が高温で焼結・溶融してできたと考えられており、あたかも強い熱に晒されたかのような状態を示しています。発見された場所や広がりは限定的であるものの、その存在は、モヘンジョ・ダーロの終焉や、都市内で発生した出来事について重要な示唆を与える可能性を秘めています。
高温破壊説の提唱と根拠
モヘンジョ・ダーロにおけるガラス状物質や溶融痕の発見は、一部の研究者の間で「高温破壊説」が提唱されるきっかけとなりました。この説は、都市の終焉の際に、極めて高い温度をもたらす何らかの現象が発生したのではないか、という仮説に基づいています。
高温破壊説の根拠とされる主な点は以下の通りです。
- ガラス状物質の存在: 自然界では比較的珍しい、砂や土壌がガラス化した物質が見つかること。これは、非常に高い温度(一般的には1000℃以上)に短時間で曝された場合に生成される可能性があります。
- レンガの溶融痕: 都市を構成する焼成レンガや日干しレンガが、熱により変形したり、表面がガラス状になっている箇所が見られること。これも、通常の火災よりも高い温度を示唆する可能性があります。
- 特定エリアでの集中: これらの痕跡が遺跡全体に広がるのではなく、特定の限定されたエリアに比較的集中しているという見解。
これらの観察結果から、過去には巨大な隕石の落下や、さらには一部で非科学的な説として「古代核爆発」といった極端な解釈までが提唱された時期もありました。しかし、信頼できる考古学および地質学の研究においては、非科学的な説は完全に否定されています。
高温破壊説への反論と別の解釈
高温破壊説、特に外部からの超常的な熱源による破壊という説に対しては、多くの考古学者や地質学者から疑問や反論が提示されています。現在、ガラス状物質や溶融痕については、より現実的な複数の解釈が存在します。
主な反論点と別の解釈は以下の通りです。
- 生成メカニズムの多様性: 砂や粘土がガラス化する現象は、非常に高い温度を伴うとは限りません。例えば、雷が地面に落ちた際に生成されるフリゴライト(雷管石)や、製陶過程での窯の異常過熱、大規模な火災など、様々な原因によっても同様の物質が生成される可能性があります。モヘンジョ・ダーロのような古代都市では、窯業が盛んに行われていた可能性も高く、その副産物である可能性も指摘されています。
- 痕跡の規模と分布: 痕跡の規模は、都市全体を破壊するような広範かつ壊滅的な熱源の作用を示すほどではないという指摘が多くなされています。限定的なエリアに見られることから、局所的な現象であった可能性が高いと考えられています。
- 決定的な証拠の欠如: 外的な超高熱源による破壊を示す明確な物理的証拠(例えば、隕石衝突クレーターや広範囲にわたる特定の放射性同位体の異常検出など)は、モヘンジョ・ダーロ遺跡からは発見されていません。
これらの点から、高温破壊説、特に都市全体が短時間で異常な高温にさらされたという説は、現在の考古学界では主流とは言えません。むしろ、発見されたガラス状物質や溶融痕は、大規模な建物火災や、窯業関連の熱源、あるいは偶然の自然現象(例えば落雷)といった局所的な出来事によって生成された可能性が、より高いと考えられています。
現在の学説の状況と今後の展望
モヘンジョ・ダーロ遺跡で発見されるガラス状物質や溶融痕は、確かに興味深い考古学的発見であり、都市の終焉や特定のエリアでの活動について何らかの情報を含んでいる可能性があります。しかし、これらの痕跡のみをもって、都市全体が高温で破壊されたとする説を支持するには、現在のところ決定的な証拠が不足しています。
現代の考古学や地質学の研究では、これらの物質の微細構造分析や化学組成分析を通じて、その生成プロセスを詳細に解明しようとする試みが行われています。どのような温度で、どのような時間曝されたのか、原料は何だったのかなどを明らかにすることで、その起源に迫ることが期待されています。
モヘンジョ・ダーロの終焉は、単一の原因ではなく、複合的な要因(環境変動、経済的変化、社会構造の変化など)によるものだったとする説が有力視されています。ガラス状物質などの痕跡は、その複雑な終焉の過程で発生した、ある特定の出来事を示すものなのかもしれません。
結論
モヘンジョ・ダーロ遺跡のガラス状物質は、かつて高温破壊説の根拠として注目されましたが、現在の考古学的・地質学的知見に基づくと、都市全体を破壊するような超高熱源による終焉を示すものではなく、局所的な現象や別の原因によって生成された可能性が高いと考えられています。その正確な起源や意味については、まだ完全に解明されていません。今後の更なる科学的な分析や発掘調査によって、この未解明な謎の真相が明らかになることが期待されています。モヘンジョ・ダーロは、その高度な文明だけでなく、今なお多くの謎を残す魅力的な遺跡であり続けています。