トロイアの謎:重層する都市と破壊はいかに生じたか?考古学が探るホメロス叙事詩との関連と未解明な論点
トロイアの謎:重層する都市と破壊はいかに生じたか?考古学が探るホメロス叙事詩との関連と未解明な論点
古代ギリシャの詩人ホメロスが叙事詩『イリアス』の中で壮大に歌い上げたトロイア戦争。その舞台となった伝説の都市トロイアは、長い間単なる神話上の存在と考えられていました。しかし、19世紀後半にドイツのアマチュア考古学者ハインリッヒ・シュリーマンがアナトリア北西部のヒサルリクの丘で発掘を開始したことにより、事態は大きく動き出します。シュリーマンはここに古代都市の痕跡を発見し、これがホメロスのトロイアであると主張しました。以降、1世紀以上にわたる考古学的な調査により、トロイアの地からは驚くべき情報が明らかになっています。しかし、その発見は新たな謎や論争点も生み出しており、特にホメロス叙事詩に描かれた出来事との具体的な関連や、都市の壮絶な終焉の真相については、現在も活発な議論が続いています。
考古学が明らかにしたトロイアの重層構造
ヒサルリクの丘での発掘により、現在までに確認されているだけで、およそ3000年間にわたる複数の時代の都市遺跡が積み重なっていることが判明しています。これらは便宜上、最も古い層から順にトロイアIからトロイアIXまで番号が振られています。各層はそれぞれ異なる特徴を持ち、時代の変遷に伴う都市の拡大、縮小、文化の変化、そして度重なる破壊と再建の歴史を物語っています。
例えば、シュリーマンが当初「プリアモスの財宝」を発見したトロイアII層(紀元前2500-2300年頃)は、強固な城壁とメガロン様式の宮殿を持つ、比較的規模の大きな都市でした。しかし、その後に続いたトロイアIII〜V層は規模が縮小し、文化的な衰退が見られます。青銅器時代後期にあたるトロイアVI層(紀元前1700-1300年頃)は再び繁栄期を迎え、特に巨大な石積みの城壁や大規模な建造物群が特徴的です。そして、トロイアVIIa層(紀元前1300-1200年頃)は、このトロイアVI層の終末期にあたる層として位置づけられています。
ホメロス叙事詩との関連性を巡る論争
シュリーマンは発見当初、絢爛豪華な財宝が出土したトロイアII層こそがホメロスのトロイア、すなわちトロイア戦争の舞台であると確信しました。しかし、その後の調査でトロイアIIがホメロスが描いた時代(青銅器時代後期)よりもはるかに古い時代の都市であることが明らかになり、この説は否定されました。
現在、多くの考古学者が「ホメロスのトロイア」の候補として最も有力視しているのは、トロイアVI層末期またはそれに続くトロイアVIIa層です。その根拠としては、以下の点が挙げられます。
- 規模と防御力: トロイアVI層の巨大な城壁と広大な市域は、ホメロスが「堅牢な壁を持つトロイア」と描写した都市にふさわしい規模を備えています。
- 時代: トロイアVIIa層の時代(紀元前13世紀頃)は、ミケーネ文明が栄え、東地中海で国際的な交流や紛争が頻繁に起きていた時期であり、ホメロス叙事詩の舞台設定として整合性が高いと考えられています。
- 破壊層: トロイアVIIa層には、広範囲にわたる破壊と焼失の痕跡が見られます。
しかし、どの層が正確にホメロスの叙事詩に対応するのか、あるいは叙事詩が特定の層の出来事を反映しているのかどうかについては、いまだに議論があります。また、ホメロスの叙事詩自体が、数世紀にわたる口承伝承を経て形成されたものであるため、単一の歴史的出来事を正確に記録しているとは限らないという見方も重要です。考古学的な発見はあくまで物質的な痕跡であり、それらが文学作品の内容とどのように結びつくのかは、容易に解明できる問題ではありません。
トロイアVIIa層の破壊と終焉の謎
トロイアVIIa層に見られる激しい破壊の痕跡こそが、トロイア戦争の物的証拠ではないかという期待が多くの考古学者や歴史愛好家の間で持たれています。この層からは、焼失した家屋、倒壊した城壁の一部、そして一部の人骨などが発見されています。これらの証拠は、都市が何らかの突発的な、おそらく暴力的な出来事によって終焉を迎えたことを示唆しています。
しかし、この破壊の原因についても複数の説があり、論争点となっています。
- 戦争説: 最も直感的な解釈であり、ホメロス叙事詩の描写と結びつけやすい説です。外部からの攻撃、特にミケーネ文明圏からの侵攻によるものと考えられます。破壊層からの矢じりや槍先といった武器の発見、城壁の内側に急ごしらえされた住居(籠城の準備か?)などが根拠として挙げられます。
- 地震説: トロイアが位置するアナトリア北西部は地震多発地帯であり、過去の地震によって都市が破壊された痕跡も確認されています。トロイアVI層末期の破壊は地震による可能性が高いとされていますが、トロイアVIIa層の破壊も大規模な地震による二次的な被害、例えば倒壊した建物の焼失などが主要因であった可能性も指摘されています。広範囲にわたる焼失痕だけでは、直接的な戦闘行為の証拠とは断定できません。
- 複合要因説: 戦争と地震、あるいはその他の自然災害が複合的に作用して都市の終焉を招いたとする説です。例えば、地震で弱体化したところに敵が攻撃を仕掛けた、あるいは戦争による混乱の中で火災が拡大した、といったシナリオが考えられます。
現在、トロイアVIIa層の破壊が戦争によるものであったという説が依然として有力視されていますが、それをミケーネ文明圏からのギリシャ連合軍による攻撃、すなわちホメロス叙事詩に描かれたトロイア戦争と同一視できるほどの決定的な証拠は、残念ながら見つかっていません。ホメロスの叙事詩が歴史的事実をどの程度反映しているのか、あるいは特定の出来事が数世紀を経てどのように伝説として語り継がれたのかという問題は、考古学的な発見だけでは完全に解き明かすことが難しい、未解明の論点として残されています。
未解明な点と今後の展望
トロイアの発掘は、ホメロス叙事詩と歴史的事実の関係性を巡る探求という文学的な興味を超えて、青銅器時代後期のアナトリアとエーゲ海世界の交流、都市の発展と崩壊、そして古代の戦争や社会構造について、考古学的な視点から多くの知見をもたらしました。
しかし、前述したホメロス叙事詩との関連性や、トロイアVIIa層の破壊の具体的な原因以外にも、以下のような未解明な論点が存在します。
- ヒッタイト文献との関連: ヒッタイトの粘土板文書に登場する「ウィルサ」や「タルイシャ」といった地名がトロイアを指すのではないかという説があります。もしそうであれば、当時のトロイアがヒッタイト帝国やアヒヤワ(アカイア、すなわちミケーネ文明圏?)といった強国とどのような関係にあったのか、より詳細な歴史的背景を読み解く鍵となります。この点に関する考古学的な証拠の解釈は進められていますが、決定的な一致は見出されていません。
- 都市の内部構造: 城壁内の住居域など、都市生活の詳細や社会構造を復元するためのデータは、まだ十分とは言えません。
- 人々の生活と文化: 発掘された土器やその他の遺物から、トロイアの人々がどのような生活を送り、どのような文化を持っていたのかをさらに深く理解する必要があります。
トロイアの発掘と研究は、現在も継続されています。最新の技術を用いた地質調査や遺物分析、周辺地域の調査などが、新たな知見をもたらす可能性があります。ホメロスが歌った伝説と、考古学が明らかにする冷厳な事実の間にある溝を埋める試みは、今後も続いていくことでしょう。トロイアの地は、古代世界の複雑な様相と、考古学が挑む未解明な謎の奥深さを私たちに示し続けています。